全国学力調査の問題を解いてみました。
桜はその儚さに本質があると新渡戸稲造が言ったとかなんとか、何かで読みました。
死を意識するところに生を見出すことがうんたらかんたら、という話だったような。妙に納得した覚えがあります。すぐに終わっちゃいますね、桜。
さてタイトル通り、謎の使命感に駆られて中学生全国学力調査の問題を解いてみました。
以下はそれについての雑感です。
■全体の傾向はここ数年の流行り通りに
複数の文章を読ませることにどんな意味があるのか、私は未だ深く理解できていない気がしますが、ともあれその傾向はまだまだ続いているようです。また、すべての大問に小作文が用意されており、こどもの表現力を問う気概が表れています。この「表現力」については思うところが色々とあるのですが、それはひとまず。
数学に関しても、実際の事例を数学に当てはめる「思考力型」の傾向が続いています。そしてそれ以上に、データの読み取りを大きく取り上げた構成になっていたのが印象深かったですね。
英語は一貫して、ある程度のボリュームのある短文、長文の内容を読み取ることが求められています。事実と意見のくだり、もういらないんじゃないかなあ。
■語彙力不足と、普段の問題との違い
この近年の傾向に対して、うまくいかない生徒の特徴が大きく2種類に分けられる気がしています。
一つは、単純な語彙力不足。語彙力とは知識だけに留まらず、それに対する耐性のようなものも含まれる気がしています。今回の学力調査では、本文よりも設問の選択肢の理解にある程度の語彙力が求めらました。「一般的な考えを引き出す」とはどういうことか、「事例を示す」とは何なのか。「主張に関わる言葉を引用する」とは何をすることなのか。難しいですよね?
もう一つは、考えすぎて失敗するパターン。これは普段国語が得意なこどもにありがちな気がします。おそらくですが、普段国語の問題に対して「間違い探し」を自然としているこどもは、このパターンに陥りやすいのではないでしょうか。
一般的な国語の問題で問われる、具体と抽象表現の抜き出しであったり、要旨の読み取り、選択といった行為に対して、文章の意図や目的、表現の効果を問われた際の対応ができていないように思えます。論理的な破綻を見つけづらい、ということなのかなあ、と思っていますが、どうなんでしょうね。実は設問の作り方に問題があるでは・・・とも思ったりします。
長くなったので、数学と英語の細かな点については次回へ。
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