5月、カメレオンの生活
5月もはや残り2週。SNSの更新をもっとやんなきゃな、とやや反省しております。
春は小さな野草がそこらじゅうに咲いてまして、それが好きなんですが、最近はともすればどれもこれもが誰かの庭から飛んできた外来種の種だったりもして、少し複雑な気持ちになりますね。最近、レジンにその辺の草花を閉じ込める、って小物作りに挑戦していますが、どの花を選ぼうか上記の理由もあって迷っちゃったりね。
今月からお話しをいただいた生徒さんのお父さんが、うちのおばあちゃんの介護に昔携わっていただいていたようで、不思議なご縁を感じています。介護の仕事を続けていく上で、小さな要望に答えていく形を考えた結果として、「便利屋」という業態を選んだとのお話しを伺って、えらく共感いたしました。
一人ひとりのご家庭を回っていく中で、介護という枠組みではケアしきれないところに、小さな、でも大切な、生活の中での様々な要望に気づかれたそうです。本当にその人たちの役に立ちたい、ってことを考えた上で、業態を変えられたというお話でした。
私も同様に、学習塾という形態の限界を感じて今の家庭教師という形を選んだので、何だか嬉しい気持ちになりました。何というか、同じ考えの方とご縁で関われるというのは、人生においてとてもありがたいことだなあ、と思ったわけであります。
閑話休題。もはやニュースとして一瞬の間に消費され、もはやその結果すら誰も気にしていない全国学力調査についてのレビューの続きです。
■数学に求められる「探る」力。だけど・・・
平たく言えば、丁寧に練られた応用問題が多く出題され、初見の文章や表現を、どれだけ既知の解法に落とし込めるかという力が求められていたように思います。つまり、生徒たちは初めて見るタイプの問題に対し、どこから手をつけるべきかを判断し、正答に辿り着くための手段と道筋を探っていく必要があります。
さて、そこで問題になるのがこの「探っていく」という力です。
これができない生徒が一定数存在することは、まあ教育に携わる方なら誰もがわかっていることでしょう。未知の問いに対して、もてる手段を用いて答えを「探っていく」。それは手探りで始まることもあり、また行き止まりから引き返すこともある作業なのですが、ほんとうにこれがなかなかに難しい。
これ、はっきり言って数学の力とは無関係なのでは、と思っています。それ以前の意思決定の自由さ、失敗への恐れ、そういった精神性の問題なのではないだろうか、と強く思いつつ、これを数学の問題に折り込むのはどうなのかなあ・・・と思っています。
■英語は読ませることに特化。中〜長文読解経験がとにかく必要に。
英語は従来の文法問題のようなものはほぼ出題されず、中〜長文を読みその内容を正しく素早く理解していく、まあ共通テスト型とでもいうべきスタイルでした。これ、おそらく対応できる生徒とできない生徒ではっきりと別れるのではないでしょうか。
小学校までの蓄積で格差が広がっていることが話題になっている英語ですが、おそらく地方、私立公立での格差も広がっているように思っています。人口減少が進む地方の公立中では、県内の偏差値層が30〜60。おそらく最頻値が40〜50の枠に集中するので、必然的にレベルをやや下げて授業をすることになります。その中でこう言った英文を読む訓練ができているかというと・・・できません。ちなみに学習塾でもできません。そこは本当に何とかするべきでは、と思っています。
長くなったので、同様の話はtwitterでもちょこちょこと発信しようと思います。
それでは
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